わたしは人形じゃない

重度の「毒」ではないかもしれない。
でも、彼らは、わたしにとって毒親で、毒弟で、毒妹。
わたしはあんたたちの人形じゃない。
わたしはあんたたちの見本でもない。
わたしはわたしを生きる。ただそれだけのこと。

わたしは、あと3回は毒父・毒母に会わなければならないと思っている。

1回は、毒母側の祖母が亡くなった時。
残りの2回は、毒父・毒母が亡くなった時。

会ったところで、気分が悪くなるだけ。
だから、それ以外は、基本的に会う気はない。



あさっては、子供1の誕生日。

5年前の今頃…
トイレで「あれ、おしるしかな?」と思うような兆候があった。

5年前の明日… 
陣痛が始まった。

5年前の明後日…
最愛の子供1が生まれた。 

可愛い可愛い、わたしの子供。
お腹を痛めて生んだ、わたしの子供。
目に入れても痛くないというのはこのことか、というくらい、愛おしくて仕方ない存在。
5歳になり、口も達者で生意気になってきた今でも、その思いは当然変わらない。
大切な、大好きな、なによりも大切な宝物。


わたしの毒親は、生まれてきたわたしを見てそう思わなかったんだろうか。
わたしも、子供1に対して「いなければいいのに」と思う日が来るのだろか。
「子供たちには、親であるわたしが思うように・望むような生き方をしてほしい」と思う日が来るのだろうか。 


…いや、ありえない。 
わたしの子供たちには、子供たちなりの人生を歩んでもらいたい。

だって、子供たちは、わたしの人形じゃないから。 

わたしのような生き方をしてほしくない。
親の人形と化して生きるような人生の歩み方は、絶対にしてほしくない。 


わたしは、自分の親はいないものだと思っている。

いるのに、いない。
こんな切ないことがあるんだろうか。 

子供の頃…幼稚園くらいだろうか、
その頃のわたしの目には、実母はいつもイライラして怒っているように見えた。
そして、それは自分のせいだと思っていた。


「おかあさん、怒ってる?」
わたしは台所に立って仕事をしている母に、よくそうやって聞いていた。

「え?別に怒ってないよ」
そう言われても、それはウソだ、本当は怒っているに違いない、そう思って
しばらく母の顔色を伺っていた。


でも「おかあさん、怒ってる?」と聞くわたしに
「怒ってない」という回答を得たのは、ものの数回のような気がする。

ほとんどの場合で
「なんで?」
「怒ってるように見える?」
という返事ばかりだった。


「だって怒ってるように見えるんだもん」

そう言うわたしに、母は
「ふっ、あっそう」
と鼻で笑ってあしらわれて終わりだった。


そうやって母の顔色を伺う生活は、なんだかんだで小学校高学年くらいまで続いた記憶がある。


母が大好きだった。
母に笑っていてほしかった。
母にいい子ね、と言って褒めてもらいたかった。

だから、母がピリピリしているのが嫌で、いつも顔色をうかがっていた。



「おかあさん、怒ってる?」と聞く幼稚園児。

わたしのこどもたちには、そんな子になってほしくない。
親の顔色をうかがうような子供に。
あの時のわたしのような子供に。

子供1の出産直前で里帰りしていたときのこと。
実家の人間と、「懐かしいね」と言って見ていた昔のホームビデオ。

洗濯かごを抱えた小学校5年生のわたしは、もの悲しそうな顔で母を見ていた。

母の腕の中には、生まれたばかりの妹1。


当時のわたしは、
母の手伝いを進んで行うことで母に喜んでもらいたかった。

でも、わたしが母の手伝いをするのは、母にとっては当たり前のことだった。

だから、わたしが母の手伝いをすればするほど、母は妹1と過ごす時間が増える。
妹1と過ごす時間が増えれば、母がわたしのことを見てくれる時間が減る。

手伝えば手伝うほど、わたしの思いは届かない。


母に「手伝ってくれてありがとう」なんて言われたこと、ないな。

母は忙しいんだから、姉であるわたしが手伝って当たり前。
母が台所に立っているときは、わたしが妹につきっきりで面倒を見て当たり前。


母から言われた言葉で覚えているのは
「ちゃんと面倒見ててよ!」
だけだ。

妹のことをおんぶしながら勉強したこともあったな。

でも、ありがとうといわれたことはない。



家族が協力して、というなら話はわかる。
でも、やることやって産むだけ産んで、子供のわたしに当たり前のように手伝い
いや、親と同レベルの「妹の世話」を強いられるのはおかしい。

それをおかしいと思うようになったのは、わたしが子供3を妊娠しているとき。
つまり、1年ほど前。
それまでは、妹の世話に手が回らなかったわたしが悪いものだと思っていた。


今は違う。

あの時のわたしは、悪くない。
あの時のわたしなりに、できることはがんばっていた。

わたしは、妹の親じゃない。
姉だ。

「自分たちで面倒見切らないんだったら産むな」
あの時の父と母に、声を大にして言ってやりたい。

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